東京に住んでいると、遊ぶ所もたくさん有るし、ゲイで有る事もそれほど気にしないで生活する事が出来ます。
しかし、地方に住んでいる方たちは、何かと不自由な面も多いと思います。
そういう時に、エッチなオカズは結構ありがたいものですよね。
このホームページに出演しているのは、「俺で良ければ」という事で、「みんなにオカズを提供しよう」という趣旨に共鳴してボランティアで出演してくれた人たちです。
プロのモデルでもなく、ギャラも受け取っていない、「普通の人」たちです。
ですので、残念ですが、顔は一切出していません。
「俺で良ければ役にたつよ」「どうもありがとう」、こういう気持ちで成り立っているホームページです。
女性の方からメールを頂くと、必ずと言って良い程「私は女なんですが、いいですか?」と書いて下さる方が多いんですよね。
勿論です。女性でも大歓迎ですよ。
というか、男でも女でも、ゲイでもビアンでもヘテロでもFTMでもなんでもかんでも、そんな区別自体にあまり意味は無いと思っていますので、どんどん遊びに来て下さい。
女性でも掲示板を使って下さって全然構いませんので、気楽に書き込みして下さいね。
ちょっと屈折しているセクシャリティの人やナルシストの人、セックスすると素直に淫乱になる人って、俺は個人的に大好きなんです。
例えば、彼女の見ている前で男に犯されたい男性だとか、
彼女と他の男性がやっている所を見たい人だとか、
身体は男でも、女として扱われたいだとか、
身体は女でも、男として男とセックスしたいだとか、
実にいろいろな方がいらっしゃいます。
こうして見てみると、ゲイだとかFTMだとかなんだとか区別する事自体が無意味に思えて来ませんか?
いわゆる「普通」な人であっても、セックスする時には赤ちゃんになってしまう人だとか、夫の留守に自宅で不倫する事に興奮を覚えてしまう人だとか、実に様々で、
セクシャリティの区別などで「異常」だの「アブノーマル」だの言っている事が全く馬鹿げていると思うのです。
セックスをする時は、自分を解放しましょう。
セックスは素の自分が出るものです。
セックスをしている時は、とても素直になれるものです。
そういう意味で、セックスを考えると、実に人間の一番根っこの部分を考える事になるのです。
我々は社会人である前に、1人の人間です。
法律や社会的な道徳で縛る前に、1人の人間が有るはずです。
売春でもレイプ願望でも、浮気でも、1人の人間の中には様々なものが存在しています。
まず始めに、そういう生の自分が有ってこその「倫理」であり「道徳」であり「法律」であるはずです。
生の人間を考える前に社会的な枠を持ち出す事は本末転倒です。
レイプ願望自体に罪は有りません。
実際にレイプして初めて社会的には罪になるのです。
そうやって考えてみると、自分や他人のセクシャリティを「異常」などと言う事が馬鹿げている事が解ると思います。
素直に自分のセックスを楽しめるという事は、人間の一番根っこの部分に有るとても大切な事のひとつではないでしょうか。
また、「セックスをまじめに考える」と称して、セックスの具体的な内容や性癖、性欲などを除外して論じる方がいますが、それではいけないと思っています。
セックスと愛情は関係の有るものですが、セックスを愛情だけと結びつけて考えようとするのは非常に偏った考え方ではないでしょうか。
淫乱な気持ちだって人間のセックスのひとつの要素です。
自分の中に有る、自分のセックスとは一体何でしょうか。
愛情と関係していてもOK、していなくてもOK、きれい事ではなく、素の自分のセックスを考えてみましょう。
そこには、セックスだけにとどまらない、自分の根っこが有ると思いますよ。
ここで「愛のある」とか「愛の無い」という言葉を使いましたが、「愛の無いセックスは悪い事だ」「愛の有るセックスをするべきだ」というご意見の方が使われる言い方に準じたものです。
でも、愛の有るセックスって何でしょう。
「恋愛して好きになった同士が見つめ合い、抱き合い、口づけをし、愛の言葉をささやき合って行うセックス」が愛の有るセックスなんでしょうか。
売春婦(夫)と客の間に愛は無いのでしょうか。
SMプレイだと愛が無いのでしょうか。
コスプレだと愛が無いのでしょうか。
時々会ってセックスするセックスフレンドには愛が無いのでしょうか。
売春婦とお客の間にも、SMプレイにも、セックスフレンドにも皆、愛は有ります。
愛は決まったひとつの形をしているものでは有りません。
自分が知らない事を悪だと決めてしまうのは乱暴ですね。
「男性なのに、どうして男性を好きなのか。それは異常だから正しい道に戻りなさい」という人に、男性同士の愛というものも有るのだという事を説明してあげると、その説明が全ての愛の形(売春でもSMでも)の説明の言葉になりますね。