かわいひでとし日記
思うこと、こころもち、脳内風景


2014.09.13    信頼

 

「生きもの」、が死ぬ瞬間を見たことがあるのは3回だけです。



おばあちゃんのとき、

子猫のとき

りゅうのすけのとき、、、。



その瞬間、力が抜けるからなんでしょうか、小さく口を開いて、

ハァーーっと息をはく様に見えます。

まるで、口から魂が抜けて天に昇っていくみたいな感じがします。



りゅうのすけの時は、ずっと俺の手の中にいました。

大好きなリンゴジュースで口を湿らせてあげたり、話しかけたりしていましたが、

小さく口を開けて、ハァ、と言いました。


あ、


りゅう、、、、


行ったのか?




そうか、、、、


行ったか、、、。



俺もあとから行くから、待ってろよ。

と言って涙が流れました。



悲しかったけど、とても、ほっとしました。


手の中で行ってくれたから。

もう、病気をする心配も、怪我をする心配も無くなったから。




死ぬというのは、なんというか、そんなに恐ろしいものではなくて、

なんという か、ほっとする様な、

「安らか」という言葉がぴったりくる瞬間の様に思います。


もちろん、看取ってもらって死ねる時の話ですが、、、。




じゃあ、俺はどうやって死にたいか。



豆腐屋の角で頭をぶつけて死ぬとか、

ネギで滑って倒れたところに鴨が墜落してきて死ぬとか、

「パチンコ」の看板の「パ」から下が落ちてきて大当たりして死ぬとか、

なんかこう、ばかばかしい死に方がいいなあなんて思ったりします。

ばかだねーーって、 葬式の最中に思い出して吹いてしまうような、

笑い飛ばされて死にたい、って感じがします。




愛するものが死んだとき、もう病気も怪我も心配ないと、ほっとする感覚。



どうせ、俺も後から行くんだから、死んだってかまわないよ、という感覚。



うまく説明できないけれど、「津波てんでんこ」に良く似ている。





例えば母と子が別々の場所にいる時に地震があって津波が来る、というとき。


三陸地方には「てんでんこ」という言葉があるそうです。


母が子供を探しに行ったりせず、

あっちも必ず一人で高台に向かっていると信じ て、自分も一人で高台に避難する、

ということだそうです。


心配で探しに行くのではなく、相手を信じて別々に避難する。


こうする事で命を守る知恵なのだそうです。



思い出します、高校生の頃、友達と「人生」や「愛」について語り合ったとき、

本当の愛って、見つめ合うことじゃなくて、

二人で同じ方向を見る事なんだね、って話したのを。



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